肘折温泉(山形県)

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切傷、やけど、皮膚病、火傷皮膚病、婦人病、術後回復、婦人病術後回復など

<所在地>山形県最上郡大蔵村肘折
<交通>JR奥羽本線同陸羽東西線新圧駅からバス1時間15分
<泉質>ナトリウム塩化物・炭酸水素塩泉(含重曹食塩泉)

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夜明けが開店時間の肘折名物朝市です。道路にビニ-ルと新聞紙を敷いただけの露店です。客が何処から来た人かで、売り手は何が一番の土産か、心得ているようです。6時過ぎには、車が動き出すので1時間余りで店閉まいとなってしまいます。

春は旬の山菜、生きたマムシも売っています。煎じ薬「げんのしょうこ」、ガンの予防薬と言われる「さるのこしかけ」など漢方薬草が人気が出て来たということです。

肘折は、白き神々の座、出羽三山、作物の神の葉山を望む山峡のいで湯です。宝永6年(1709年)の記録に「肘折口からの月山(出羽三山の主峰)参詣者は13日間で12,000余人、僅か1日で1,300人という日もあった」と云われてます。

出羽三山信仰と強く結びついていた様子を伺うことができます。お参りを前に ”さんげさんげ六根罪障” を唱えて、湯垢離(ゆごうり)をとる集団があり、片やお参りを無事済ませ、地酒をくみ交わして精進落としに意気上がる人たちなどで賑わって居たのでしょう。

宿は超満員の、すし詰め状態であった様子が伺われます。三山信仰の本拠地だったこと、また温泉発見の由来から”霊場”と呼ばれていていました。また江戸時代以降は農家の人たちが、田植え後の”早苗振(さなぶり)” 収穫を終えた”土洗い”など骨休めの湯治場として、生活リズムの中に湯治が取り込まれてきたことが伺えます。

孫を連れての湯治は一家団らん、これを習慣として取り込んで来た先人の知恵はただ驚くばかり・・・。近年、農作業はすべて機械化されているが、穀倉庄内地方には今なお根強く湯治の風習が残っているようです。

泉質は、ナトリウム塩化物炭酸水素塩泉。含重曹食塩泉で、神経痛、軽い心臓病、切傷、火傷などに効用があり、許可されていないが、飲んで胃腸によいとされています。

肘折という名前の通り術後の静養にはもってこいの処です。歴史のある温泉だけに伝説や、民話も豊富にと語り継がれています。

見知らぬ者同志が、お茶に呼んだり、呼ばれたりで会話のはずむ素朴なふれあいは肘折ならでは・・・・。

豊後の国(大分県)から月山詣に来た旅人が、この地で道に迷って、銅山川に布切れが流れているのを見つけ、上流に人が住んでいると、川沿いを上流へと歩いていたそうです。

山にさしかかったとき1人の老僧に出会います。老僧は「わしは地蔵権現である。岩から落ちて肘を折り苦しんだが、この沢に湧き出る湯につかったところ傷は治った。願わくば、この地に住み病苦に悩む人々を救ってくれ」と言い残して立ち去ったのだそうです。

旅人は老僧の言葉に従って、老僧が住んでいたというところの地蔵倉に住み、老僧の話から温泉を肘折と名付けたとのことです。大同2年(807年)の大昔からの開湯伝説が語り継がれています。

地蔵倉は、切り立つ絶壁の奇岩の中にあり、微笑みをたたえ心なごむ表情のお地蔵さんが並んでいます。

岩には無数の穴が空いています。この穴を縁結びの穴と呼び、「良縁にご縁がありますように」と岩に5円玉を結び、5円(ご縁)の花が咲いていたそうです。

地蔵倉の正面には万年雪を頂いた霊峰月山があり、その眺めは、すばらしいの一語に尽きるそうです。

この伝説に出た銅山川は月山を源にした渓流で、水面に映える秋の紅葉は絶景だと評判を呼んでいます。

新庄藩の小山八郎が大蛇を退治した伝説が残る銅山川の名勝・小松淵は、「肘折いでゆ館」のすぐ傍にあり、新緑や紅葉の季節は絶景の景色が見れるそうです。

銅山川の上流にある源泉公園では、石造りの源泉ドームのガラス窓から源泉が湧き出る様子を見ることができます。ドームは温かく、周囲の椅子に座ると腰湯ができます。

葉山や月山などの山々に囲まれた緩やかな傾斜地に広がる棚田は、「日本の棚田百選」に選ばれる程の素晴らしい景色です。

先人の知恵と丹精が感じる事ができます。夏には「四ヶ村棚田ほたる火まつり」が開催されています。

地蔵倉とほぼ同時期に創建された湯座神社は、別名・薬師神社と呼ばれ、秋葉山碑を横切った小高い丘に鎮座しています。毎年8月20日のお祭りの日は奉納相撲大会が催合うされて盛り上がります。

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