作並温泉(宮城県)

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胃腸病、神経筋肉痛、婦人病疾患、病後回復、胃腸病神経筋肉痛婦人病疾患病後回復など

<所在地>宮城県仙台市青葉区作並
<交通>JR仙山線作並駅からバス10分 仙台から直通バス40分 山形から車で45分
<泉質>正苦味泉

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仙台市が政令都市になり、指定を機に近隣町村が編入合併して、宮城町だった作並は仙台市青葉区になりました。作並温泉は、仙台市から30km余り、奥羽山脈の緑の山にぴったり寄りそい、清流広瀬川上流の渓谷沿いに湯煙りをあげています。

昔から湯治保養地だったのですが、仙台の詩人土井晩翠が、この地を訪ねて詠んだ、作並の河原の湯こそ嬉しけれ太古の岩に囲まれて湧く元湯の岩風呂は、昔のまま生きていたようです。

宿は近代建築に衣替えしていたが、宿の気配りも湯治場の素朴さが残っています。交通の便に恵まれながら豊かな自然が残っていて、春夏秋冬表情を変える絶好の保養地です。泉質は、正苦味泉です。

飲んで胃腸によいのですが、飲泉の条件が厳しくなって作並は許可されていません。飲泉も1日で、腹1杯飲んでも、効果があるものではありません。かえって逆効果になるから要注意です。

、極楽山西方寺は、阿弥陀如来がご本尊で、一生一度の願いごとは必ずかなえてくれると言われています。東北の屈指の霊場です。室町時代様式の五重の塔は県内で初だとか・・・・。彫刻美の山門と仁王像は見事なものです。山門の脇に定義如来の教えが書かれていました。「恩を知って、恩に報ゆ」

ちょっと頭でっかち、胴体の絵模様に特色をもつのが作並こけしです。遠刈田こけしの影響を強く受けたと思われる作並こけしの頭部には、赤い輪形の飾りが多く描かれますが、なかには黒いオカッパ頭も見られます。

前髪は、真ん中から2つの分かれたり、また直線に切りそろえられた様子で描かれています。

全般的に昔ながらの素朴な木地玩具としての姿を残している点が、作並こけしの大きな魅力といえます。子供が握って遊べるようにと、きわめて細い胴を持つのが特徴です。

最近では、初期の細い胴に代わり、太いものになっています。頭部はさし込み式で、胴は肩から下部にかけて細くなり、円錐に近い形が一般的です。

肩と裾の部分に描かれたロクロ線をはさんで、菊を図案化した独特の模様が描かれています。

721年(養老5年)に行基が東北地方巡行の際に発見し、1189年(文治元年)に源頼朝が奥州藤原氏征伐の際にここで兵馬を休めたと伝えられています。

しかし古くから地元の人に知られていたらしく、1760年(宝暦10年)の『奥州里諺集』、1761年(宝暦11年)の『奥州仙台領遠見記』に作並の湯のことが記されています。

湯渡戸という坂のそばに温泉があり、石などで囲って近在の人らが入湯しましたが、湯治客が来るような著名な温泉地ではなかったようです。

1796年(寛政8年)に岩松喜惣治が仙台藩の許しを得て開湯に着手し、道路と設備を整えるのに8年を要したそうです。

広瀬川の左岸(東岸)にある現在の鷹泉閣岩松旅館の前身です。これを古湯として、1855年(安政2年)に開かれたものを新湯(神の湯)と呼びます。

出羽国村山郡猪沢の僧侶の秀泉が、地元の石垣彦左衛門と奥山伊三郎と3人で開き、作並神湯と称したものです。古湯の北西対岸にあり、現在の神の湯作並ホテルの前身です。

1878年(明治11年)に作並温泉には古湯・新湯に1軒ずつの旅館があり、年間約2500人の入浴客を受け入れて、先発の秋保温泉(4軒、約1800人)を凌いでいました。1893年(明治26年)には3軒ありましたが、大正時代にはまた2軒に戻ってしまいました。

1970年(昭和45年)には約30万人の入り込み客があり、1985年(昭和60年)に約61万人になりましたが、2001年(平成13年)には約43万人になりました。

一時期は「仙台の奥座敷」といえば作並温泉のことを指していましたが、秋保温泉が「仙台の奥座敷」と呼ばれるようになりました。

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